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きくやしき
菊屋敷
山本 周五郎
「菊屋敷」産報文庫、大日本雄辯會講談社、1945(昭和20)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,620 字 · 71 页
八
寝床のなかで微かに噎び泣いている声も二三ど聞いた。志保の胸は刺されるように痛んだ。かき抱いていっしょに泣きたいという烈しい衝動がつきあげてきた。けれど志保はじっとそれをがまんした、――つまらぬ慰めなどでまぎれる悲しみではない、好きなだけそっと泣かせて置くべきだ、悲しさ辛さに堪えるところから、人間の強く生きるちからが生れるのだから。歯をくいしばる思いでけんめいに自分を抑えつけ、できるだけ見て見ぬふりをしとおしたのであった。……だがそういう悲しみもやがて薄れてゆき、少しずつ志保やお萱にも馴れはじめた。
「晋太郎さまはきっとたいそうなご立身をあそばしますよ」お萱は自信ありげにたびたびそんなことを云った、「……眉つきとお口許が尋常でいらっしゃらない、これは人の頭に立つ方の御相です。まあみておいであそばせ、いまにお萱の申すとおりにお成りですから」
八
子を生さぬ者に子は育てられぬという。志保はその言葉を自分への戒しめにした。不可能なことを可能にするためには、人なみなことをしていたのでは及ばない。そのうえ志保はかれを武士に育てようと思っていた。ただ自分だけの子にするのではなく、御国の役にたつ人間、りっぱに御奉公のできる武士にしたい。