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きくやしき

菊屋敷

山本 周五郎

「菊屋敷」産報文庫、大日本雄辯會講談社、1945(昭和20)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,620 字 · 71 页

青空文庫

十七

いかにも気遣わしげな、心の籠った云い方だった。志保はわれ知らず縋りつきたいような衝動に駆られた、逞ましい庄三郎の肩、意志の勁そうな眉、豊かな線をもつひき緊った唇つき、なにもかもが親愛な、温かくじかに心に触れてくる感じだ、――こんなにも自分に近いひとだったのか、そういう気持がぐんと志保をひき寄せるように思えた。

かれらを塾へ送って仏間へ戻ると、晋太郎はさっきの姿勢をそのまま坐っていた。はいっていっても、眼の前へ坐っても、じっと俯向いたきり顔をあげなかった。そして志保がながいこと辛抱づよく待っていると、やがて眼を伏せたままかれは云った。

「晋太郎は江戸へまいります」

「…………」

「江戸へゆくほうがよいと思います」

志保はからだから何かがすっと抜け去るように思った、「そう」と云いたかったが声が出ず、一瞬あたりが暗くなるように感じた。

十七

晋太郎は黙っている志保の気持がわからなかったのだろう、しずかに眼をあげて、どう云ったら自分の考えを伝えられるかと、幼ない頭で言葉を拾い拾いこう続けた。

「本当はここにいたいんです、友達もいるし、いろいろな物があるし、……お萱だって、晋太郎がいなければ寂しがるでしょう、でもそれは、それはわがままだと思います」