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せいねん
青年
「昴」1910(明治43)年3月~1911(明治44)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 123,670 字 · 246 页
己の日記の筆はまだ迂路を取っている。己は怯懦である。
久しく棄てて顧みなかったこの日記を開いて、筆を把ってこれに臨んだのは何の為めであるか。或る閲歴を書こうと思ったからではないか。なぜその閲歴を為す勇気があって、それを書く勇気がないか。それとも勇気があって敢て為したのではなくて、人に余儀なくせられて漫りに為したのであるか。漫りに為して恥じないのであるか。
己は根岸の家の鉄の扉を走って出たときは血が涌き立っていた。そして何か分からない爽快を感じていた。一種の力の感じを持っていた。あの時の自分は平生の自分とは別であって、平生の自分はあの時の状態と比べると、脈のうちに冷たい魚の血を蓄えていたのではないかとさえ思われるようであった。
しかしそれは体の感じであって、思想は混沌としていた。己は最初は大股に歩いた。薩摩下駄が寒い夜の土を踏んで高い音を立てた。そのうちに歩調が段々に緩くなって、鶯坂の上を西へ曲って、石燈籠の列をなしている、お霊屋の前を通る頃には、それまで膚を燃やしていた血がどこかへ流れて行ってしまって、自分の顔の蒼くなって、膚に粟を生ずるのを感じた。