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ごべんのつばき
五瓣の椿
山本 周五郎
「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页
「その人」と菊弥が云った、「急に恥ずかしくなったんですね」
「そうらしい」と清一が続けた、「おかみや女中が捜してみると、ついいましがた帰ったという、そのとき、膳の上にある紅梅の枝に気がついた、その枝になにか結びつけてある、取ってみると置き手紙で、――ここでおめにかかるのは恥ずかしくなった、近いうちにお宅のほうへ知らせるから、そのときはどうぞ会いに来てくれ、という文面さ」
「憎いことをなさるじゃないの」いちばん年嵩のおまさという芸妓が云った、「へええ、いまどきそんな乙なことをなさるお嬢さんがいらっしゃるんですかねえ」
「さしずめ五条橋てえところですな」と米八が云った。
「なにが五条橋だ」
「走りかかってちょうと切れば」と米八は謡がかりに身振りをした、「そむけて右に飛びちがう、取り直して裾を薙ぎはらえば」
「洒落にもならねえ」と清一が遮った、「こっちの相手は帰っちまったんだ」
「ははあ、牛若は鞍馬へ御帰館ですか」
「黙って聞け」と清一が云った、「――私も憎いことをすると思った、こっちを呼んでおきながら、紅梅の枝へ置き手紙を残してさっと帰る、いかにもすっきりとして、しかも人の気をそそるやりかたじゃあないか」