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にんげんひょう

人間豹

江戸川 乱歩

「講談倶楽部」大日本雄辯會講談社、1934(昭和9)年1~2月、5月~1935(昭和10)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 155,989 字 · 311 页

青空文庫

喰うか喰われるか

もがけばもがくほど、泥沼の底へ底へと落ちて行く。助けなければならない。文代さんがはだかにされて、からだじゅうに血を流して泣き叫んでいるのが、黒い水をとおしてハッキリと見える。早く助けなければ、早く、早く。だが、あせればあせるほど、グングンと水底深く落ちて行くばかりだ。

実に長い長い時間、死にもの狂いの悪戦苦闘であった。烈しい意志と眠れる脳細胞との汗みどろの戦いであった。そして、ついに彼はまっ黒な水の中から、軽やかな水面へと浮かび上がることができた。ふと現実の物音がよみがえった。何か非常に大きな物音であった。だが、間もなく、それは彼自身の耳鳴りであることがわかった。耳鳴りは徐々にその音を低めていって、やがて、耳鳴りのほかにはなんの物音もない静寂の中にいることがわかった。音ばかりではない。眼をひらくと、まだ悪夢のつづきのように、あたりは黒暗々の闇であった。

次に彼はからだじゅうに異様な圧迫感をおぼえた。闇の中に横たわったまま、手も足も動かなかった。いや、身動きばかりではない。口をきくことさえもできなかった。妙な錯覚が起こった。おれは死んでしまったんじゃないか。