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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

06 第六分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 200,320 字 · 398 页

青空文庫

甲州の中においてすら、ややもすると、

(信玄公が御在世ならば)

という声がする。

一族、譜代の輩が、折にふれ、事にふれ、故主を慕うこころは、それだけの空虚を今に抱いている証左だともいえる。

信玄は、強力な軍国政治で押し通した。けれど、一族郎党をして、いや領民すべてのものに、

(この主君があるからには)

という絶対な安全感をもたせて、自分に頼らせきった。

勝頼の代となっても、軍役、徴税、そのほかの諸政すべて、信玄の遺法どおりに行っていたが、何か欠けていた。

勝頼には、その欠けている「何か」が、何であるか分らなかった。いや、欠けていることすら気づかない憾みがあった。

和と。中心への信頼だった。

こう二つの足らない強力な信玄政治は、却って一族の和を齟齬しはじめた。ひいては、信玄時代には、上下一般の信条だった――甲州ノ四境ハ一歩モ敵ニ踏マセタル例ナシ――という誇りにも、

(この分では)

という危惧をどことなく抱かせるような傾きがあらわれて来た。

それが長篠の大蹉跌を境にして、顕著となって来たことはいうまでもない。あの大敗戦は、ただに甲軍の装備とか戦略上の失敗とかにとどまらず、勝頼の性格的な短所――また日常の強気に対しても、彼を柱と恃む周囲や一般が、ひどく失望を覚えて、