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げんだいゆいぶつろんこうわ

現代唯物論講話

戸坂 潤

「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页

青空文庫

だからカントが人間の直観を感性的(又勝義に於て経験的)だと繰り返し繰り返し念を押しているのには甚だ理由があるわけで、ただカントは人間の悟性又は理性に注意の焦点を置かねばならなかった哲学史上又は思想史上の位置にいたために、直観が人間生活から把握されねばならぬ点には殆んど力を入れなかった迄である。で、もしこうした直観が、元来人間の生活行動による又そのためのものであるなら、人間が世界の内に於てしか生活していない以上、直観はただの直観ではなくて、いつも世界を問題としないではいられない直観の筈である。一般に直観はそういう意味で元来が世界の直観(世界観)なのだと云ってよい。

カントは直観を人間悟性の問題から取り上げて人間の生活行動の問題から取り上げなかったから、経験的直観と云えば全く統一のないただの感覚の雑多のことでしかなかったのだが、却ってここに各種の直観主義(審美的・倫理的・宗教的・等々)へ動機を与える隙を示していたわけで、実際、直観が実はいつも世界の直観であること、従って世界は直観によって把握出来る筈だし、又把握されねばならぬと考える処の、様々な直観主義は、世界観という概念にとっては最も都合の好い立場だとさえ云っていい。