轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

げんだいゆいぶつろんこうわ

現代唯物論講話

戸坂 潤

「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页

青空文庫

人間社会の物事は、少なくともこう云った機械論的な取り扱い方では、到底理解出来る筈がないのである。

だがフォイエルバハの自然主義的唯物論の他の一つの特色は、その存在――自然――を、自己同一者として規定していることである。彼によれば存在の概念とは単純に自己同一的であることの概念に他ならない。だから自然はそれ自身の本質から云って不動であり、人間の側から云えば直観――静的観照――の対象でしかない。ギリシア――特にプラトン――以来の形而上学的思想によれば、存在とは正に、このような不動に見られたる――直観されたる――もの、イデアであった。かくて自然の本質は、イデアと同様に、全く形而上学的なものとなる。自然主義的唯物論は形而上学的唯物論でなければならない。

併し唯物論の――乃至哲学一般の――起源から云っても、唯物論はこのような形而上学的唯物論ではなかった。人々は古く、タレスを見るべきだ。そこでは存在――物質――が、それ自身活きて動き又変化するものとして提出されていただろう。タレスの水は誠によく存在のそういう性質を象徴しているではないか。

マルクス主義に於ける唯物論は、機械的唯物論でもなければ形而上学的唯物論でもない。