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じゆうじん

自由人

豊島 与志雄

「芸術」1948(昭和23)年7月、9月、11月、1949(昭和24)年1月(未完)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,030 字 · 139 页

青空文庫

それからもう見向きもしなかった。

「わたくしどもも、もうおいとま致しましょうか。」

玄関につっ立ったまま、井上夫人は田島を顧みた。田島が黙ってるので、富子へ言った。

「御診察でしょうか。」

「そうではないようでございますよ。どこへ参りますのか、見当がつきませんわ。」

「でも、小泉先生とごいっしょですものね、御心配なことはございますまい。」

「まあどうぞ、あちらへ。」

そろそろと、応接室へ戻って行った。

北村だけは応接室へ戻らなかった。茶の間の方へ行くと、千重子と八重子が、まだ指紋を見比べあっていた。

「おい、も少し酒をつけてくれ。飲み直しだ。」

「ええ、いくらでもつけてあげるわ。」と千重子が言った。「今日は珍らしく、お父さまに、二人ともほめられたのよ。二人とも、指紋がきれいだって。ほら、みんな渦を巻いてるのよ。流れてるのは、両手でたった二本だけ。八重子さんは三本だけよ。小父さまのは……。」

「私のはみな巻いてるさ。完全無欠だ。」

「うそ。そんな指紋てないわ。」

「ここに現にあるよ。」

だが、北村は指を見せはしなかった。妙に気が滅入って仕方がなかった。泣きたくさえなった。