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きくやしき
菊屋敷
山本 周五郎
「菊屋敷」産報文庫、大日本雄辯會講談社、1945(昭和20)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,620 字 · 71 页
「それが本当であってくれたらと思います」志保はいつになく穏やかにそう頷ずいた、「……そしてこれからは美しくなるように努めましょう、いまの片意地という言葉は……」
そこまで云いかけて志保は口を噤んだ。門に誰かのおとずれる声が聞えたのである。お萱も聞きつけたとみえ、足早に立って玄関へ出ていったが、「まあこれは」とおどろきのこえをあげ、すぐにひき返して来た。
「小松さまがお越しあそばしました」
「ええ小松が」志保も眼を瞠った、「……小松が高田から……」
云いかけて玄関へ出ると、そこに小松が赤子を負って立っていた。そして良人の園部晋吾と、二人の間に晋太郎であろう、五歳くらいにみえる男の子もいた。みんな旅支度で、頭から埃にまみれている感じだった、――まあ、と云ったまますぐには言葉も出ず、姉妹は暫らく涙を湛えた眼でお互いを見いるばかりだったが、「まことに御無沙汰を仕りました」という晋吾の挨拶でわれに返り、ともかくもお萱と老僕に洗足をとらせ、親子の者を座敷へあげた。
昨夜は松本城下に泊り、朝餉は済ませて来たという。茶を淹れ、菓子を出しなどするあいだも、小松は殆んどやすみなしに独りで話した。