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せいねん

青年

森 鴎外

「昴」1910(明治43)年3月~1911(明治44)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 123,670 字 · 246 页

青空文庫

女は短い笑声を漏した。「いいえ。それでは宜しゅうございます。どうせ起して貰うように頼んで置きましたから」

こう云ったきり、女は黙ってしまった。純一はやはり強情に見ずにいる。女の寐附かれないらしい様子で、度々寝返りをする音が聞える。どんな女か見たいとも思ったが、今更見るのは弥間が悪いので見ずにいる。そのうちに純一は又寐入った。

朝になって純一が目を醒ました時には、女はもういなかった。こんな家で手水を使う気にもなられないので、急いで勘定をして、この家を飛び出した。角刈の男が革包を持って附いて来そうにするのをもことわった。この家との縁故を、少しも早く絶ちたいように思ったのである。

湯本の朝日橋まで三里の鉄道馬車に身を托して、靄をちぎって持て来るような朝風に、洗わずに出た顔を吹かせつつ、松林を穿ち、小田原の駅を貫いて進むうちに、悪夢に似た国府津の一夜を、純一の写象は繰り返して見て、同じ間に寝て、詞を交しながら、とうとう姿を見ずにしまった、不思議な女のあったのを、せめてもの記念だと思った。奉公に都へ出る、醜い女であったかも知れない。それはどうでも好い。どんな女とも知らずに落ち合って、知らずに別れたのを面白く思ったのである。