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ごべんのつばき

五瓣の椿

山本 周五郎

「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页

青空文庫

蕎麦を喰べ終った子が、母親のところへ寄って来てぐずりだした。もっとなにか喰べるのだという、およねは小銭を出して与え、もう夜だからそれでがまんをし、明日になったらすきな物を買ってお喰べなさい、となだめた。

「だめなことはわかってました」おつるは礼を述べてから続けた、「旦那は留守だといい、おかみさんが出て来て、わたしのことを犬畜生のように云うんです」

むろん一言もない、相手にすれば亭主を寝取られたのだ。どんなに憎んでも憎みたりないであろう、おつるはなにも云わずに帰って来た。そのときたった一度「死んでしまおうか」と思ったということだ。

「そんなことを考えたのはそのとき一度だけで、すぐに、いやなこったと思い直しました」とおつるは云った、「ちゃんとした夫婦でいて亭主に先だたれ、二人も、三人もの子をかかえてやってゆく人が世間には幾らもいる、なにくそ死んでたまるものかって思いました」

それから源次郎を外で捉まえようとし、暇をみては店から出て来るのを見張っていた。三度ばかり捉まえたが、力ずくで突き放されてしまったので、今夜は他人のいる前で話をつけようと思い、ばくろ町まで跟けていった、ということであった。