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ごべんのつばき

五瓣の椿

山本 周五郎

「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页

青空文庫

――若い男は黙って反対のほうへ遠のき、佐吉はおしのの側へ来た。

「おっ母さんのこと知ってるでしょ」とおしのは低い声で云った、「あんたのせいにするんじゃないから正直に云って、東蔵っていう役者と江ノ島へいったこと知ってるわね」

「弱ったな、いいえそりゃあもう決して、隠しだてなんかしやあしませんが」佐吉は頭を掻き、いかにも閉口したように肩をすくめた、「その、東蔵という役者はあそこにいるんで、ええ、いまあっしと話していたあの男です」

おしのは振り返って見た。その若い男は、店の前に立ててある松飾りの、松の葉を弄っていた。

「屋号は沢田屋、島村東蔵といって、女形ではいま売出しの」

「では誰といったの」おしのはまた遮って訊いた、「誰、どういう人」

「菊太郎といって、子役を勤めていましたが、去年の顔見世が終ったあと芝居をやめて、それ以来ごしんぞさんのお世話になっていたようですから、もし江ノ島へおいでなすったとするとその菊太郎と」

「うちはどこ」とおしのは云った、「その菊太郎という人はどこに住んでいるの」

「その、それは」と佐吉は吃りながら云った、「たしかずっと、亀戸の寮のほうにいるとかっていう、あっしはよく知りませんが」