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ごべんのつばき

五瓣の椿

山本 周五郎

「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页

青空文庫

おしのは息が詰まりそうになった。まにあうようにという言葉は、父が自分の死の迫っていることを知ったからであろう。そんなことはないと否定したかったが、父の眼のはげしい光を見ると、おしのは舌が動かなくなり、使いを命ずるために立ちあがった。

亀戸へは徳次郎がいった。戻って来た彼はおしのを呼んで、そっと首を振った。ああ、とおしのは太息をつき、父の枕許へ帰って坐りながら、おっ母さんはぐあいが悪くて寝ているそうだ、と父に云った。死にかかっている者に嘘を云うことの、苦しさと申訳なさとが、おしのの声音によくあらわれていた。

「よし、よし」喜兵衛は眼をつむりながら云った、「それならそれでいい、いまとなっては同じことだ」

「あとであたしがいってみます」

「いや、いけない、おまえはここにいておくれ」喜兵衛は眼をあいておしのを見た、「いつどんなことが起こるかもしれないから、おまえは側をはなれないでおくれ」

「いいわ」とおしのは頷いた、「じゃあまた徳どんにいってもらいましょう」

「それも明日でいい」と喜兵衛が云った、「もうどっちでもいいよ」

使いをやるまでもない、母が帰れば友吉が伴れて来るだろう。