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ごべんのつばき
五瓣の椿
山本 周五郎
「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页
父はひどい盗汗をかくし、毎夜幾たびか咳の発作を起こすため、それだけの支度はどうしても必要なのであった。
おしのが着替えをしようとしていると、番頭の嘉助が、声をかけて、はいって来た。彼は三十七になり、四丁目の裏に家のあるかよい勤めで、妻とのあいだに子供が二人あった。九時半になると帰るのがきまりで、いつもは襖の外から挨拶だけしてゆくのだが、その夜は声をかけて、部屋の中へはいって来た。
「どうしたの」おしのは訝しげに訊いた。
「旦那のことなんですが」と嘉助は囁くように云った、「どうもいつもよりぐあいがお悪いようですから、もうおやすみになるように仰しゃって下さいませんか」
「どんなぐあいなの」
「ひどい熱なんでしょう、お顔が赤いし息苦しそうで、激しい咳こみが二度もございました」と嘉助は云った、「おやすみになるようにといくらおすすめしても、おまえこそもう帰れと仰しゃるばかりで」
おしのは頷いた、「いいわ、あたしがいってみるから、嘉助さんはもう帰ってちょうだい」
「今夜はもう少し残ることにします」
「いいえ、却ってお父つぁんが気をもむから、いつもどおりにしたほうがいいわ」