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ぜんのけんきゅう
善の研究
西田 幾多郎
「善の研究」弘道館、1911(明治44)年2月6日発行
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 123,777 字 · 243 页
たとえば種々の観察より推して地球が動いていなければならぬというのも、つまり一種の直覚に基づける論理法に由りて判断するのである。
従来伝統的に思惟と純粋経験とは全く類を異にせる精神作用であると考えられている。しかし今凡ての独断を棄てて直接に考え、ジェームスが「純粋経験の世界」と題せる小論文にいったように、関係の意識をも経験の中に入れて考えて見ると、思惟の作用も純粋経験の一種であるということができると思う。知覚と思惟の要素たる心像とは、外より見れば、一は外物より来る末端神経の刺戟に基づき、一は脳の皮質の刺戟に基づくというように区別ができ、また内から見ても、我々は通常知覚と心像とを混同することはない。しかし純心理的に考えて、どこまでも厳密に区別ができるかというに、そは頗る困難である、つまり強度の差とかその外種々の関係の異なるより来るので、絶対的区別はないのである(夢、幻覚等において我々はしばしば心像を知覚と混同することがある)。原始的意識にかかる区別があったのではなく、ただ種々の関係より区別せられるようになったのであろう。また一見、知覚は単一であって、思惟は複雑なる過程であるように見えるが、知覚といっても必ずしも単一ではない、知覚も構成的作用である。