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ぜんのけんきゅう

善の研究

西田 幾多郎

「善の研究」弘道館、1911(明治44)年2月6日発行

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 123,777 字 · 243 页

青空文庫

もしその発展の過程よりいえば、先ず全体が一活動として衝動的に現われたものが矛盾衝突に由ってその内容が反省せられ分別せられたのである。余はここにおいてもベーメの語を想い起さずにはいられない。氏は対象なき意志ともいうべき発現以前の神が己自身を省みること即ち己自身を鏡となすことに由って主観と客観とが分れ、これより神および世界が発展するといっている。

元来、実在の分化とその統一とは一あって二あるべきものではない。一方において統一ということは、一方において分化ということを意味している。たとえば樹において花はよく花たり葉はよく葉たるのが樹の本質を現わすのである。右の如き区別は単に我々の思想上のことであって直接的なる事実上の事ではないのである。ゲーテが「自然は核も殻も持たぬ、すべてが同時に核であり殻である」 Natur hat weder Kern noch Schale, alles ist sie mit einem Male. といったように、具体的真実在即ち直接経験の事実においては分化と統一とは唯一の活動である。たとえば一幅の画、一曲の譜において、その一筆一声いずれも直に全体の精神を現わさざるものはなく、また画家や音楽家において一つの感興である者が直に溢れて千変万化の山水となり、紆余曲折の楽音ともなるのである