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ぜんのけんきゅう

善の研究

西田 幾多郎

「善の研究」弘道館、1911(明治44)年2月6日発行

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 123,777 字 · 243 页

青空文庫

。斯の如き状態においては神は即ち世界、世界は即ち神である。ゲーテが「エペソ人のディヤナは大なるかな」といえる詩の中にいったように、人間の脳中における抽象的の神に騒ぐよりは、専心ディヤナの銀龕を作りつつパウロの教を顧みなかったという銀工の方が、或意味においてかえって真の神に接していたともいえる。エッカルトのいったように神すらも失った所に真の神を見るのである。右の如き状態においては天地ただ一指、万物我と一体であるが、曩にもいったように、一方より見れば実在体系の衝突により、一方より見ればその発展の必然的過程として実在体系の分裂を来すようになる、即ちいわゆる反省なる者が起って来なければならぬ。これに由って現実であった者が観念的となり、具体的であった者が抽象的となり、一であった者が多となる。ここにおいて一方に神あれば一方に世界あり、一方に我あれば一方に物あり、彼此相対し物々相背くようになる。我らの祖先が知慧の樹の果を食うて神の楽園より追い出だされたというのも、この真理を意味するのであろう。人祖堕落はアダム、エヴの昔ばかりではなく、我らの心の中に時々刻々行われているのである。