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てんのう
天皇
蜷川 新
誰が日本民族の主人であるか
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 136,036 字 · 269 页
2 伊藤博文の欧州派遣
これにこたえた人の多くは、漸進主義であったが、ひとり大隈重信だけは、意見をただちにしめさなかった。
翌一八八一年(明治十四年)三月になると、左大臣有栖川宮から、大隈にたいして、すみやかに意見を提出するようにとの督促があった。大隈はこれにたいして、急進的な意見をさしだした。「明治十五年末をもって、議員を選挙し、十六年のはじめに、国会を開くべし。」というのであった。大隈は、薩長人の専横ぶりを不快としていた人である。
一八八一年(明治十四年)十月にいたって、御前会議がひらかれた。そうして、「明治二十二年(一八九〇年)をもって、国会をひらくべし」ということが議決された。そうして、十月十二日には、国会開設の詔書が発せられた。このようにしてはじめて、公論政治の実行がおこなわれることになったのである。
それ以来、大隈は、薩長人にきらわれて、政府から去った。そうして、改進党は生まれるにいたったのである。
2 伊藤博文の欧州派遣
一八八二年(明治十五年)憲法制定の準備のために、伊藤博文が、ヨーロッパに派遣されることになった。その際に、天皇は、つぎのような伊藤派遣の勅語を出された。