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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

09 第九分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 187,757 字 · 375 页

青空文庫

「いらせられませ」

と、わずかに、銀の籠目の火屋を掛けた手炉の端をそっと頒つぐらいなものだった。

久しい過去の主従の観念がまだどこやら除き切れずにあった。お市の方にもあり、勝家にもある。

「初めて見る越の大雪に、寒さも佗しさも、一しおでおわそ」

勝家が、なぐさめると、

「さまでには」

と、お市の方は、わずかに面を振って見せたが、やはり暖地が慕われるのであろう。

「越の雪が解けるのは、いつの頃になって――」

と、外を見やりながら訊ねた。

「岐阜、清洲などとちがい、彼の地に、菜の花が咲き、桜も散る頃になって、ようやく、野や山が、斑々に雪解してまいる」

「それまでは」

「毎日、このようなもの」

「解ける日ものう」

「雪千丈じゃよ」

終りの一語は、吐き出すような響きだった。こんな話は、勝家に何の興もないのである。

のみならず、越路の雪の長さを思うと、彼の胸には、千丈はおろか、万丈の恨みが悶々とふり積った。かくて寸閑も女子供など相手に晏如としていられないものに趁われ出すのであった。

そこに姿を見せたかと思うと、勝家はまたすぐ本丸へあるいていた。小姓どもをしたがえて、吹雪する渡殿の廊を大股にゆく後ろでは――もう三人の姫たちの声が、嬉々と、局の縁へ出て、雪へ戯れかけるように、越の謡ならぬ、尾張の歌をうたっていた。