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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

02 第二部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 112,073 字 · 223 页

青空文庫

「素姓のわからぬものは見ますまい」

「きっとですか」と六郎兵衛が云った、「では申上げるが、私は駿河台下に刀法道場をもつ、柿崎六郎兵衛という者で、一ノ関侯とはかねてから昵懇にしています」

甲斐は黙っていた。柿崎、どこかで聞いた覚えのある姓だな、そう思いながら、しかし黙って次を待った。

私は侯と往来するうちに、侯が伊達本家に対して、なにか穏やかならぬ野心をいだいているのに気づいた、と六郎兵衛は続けた。それで二年余日、それとなく注意していると、一ノ関のうしろには、老中の酒井雅楽頭がおり、そのしり押しによって一ノ関が動いている、ということがわかった。

そのとき甲斐は、手で口を押えながら欠伸をした。

「御退屈ですか」と六郎兵衛は甲斐を見た。

彼の眼には怒りと、いまにみろとでもいいたげな、刺すような皮肉な色がうかんだ。甲斐はふところ紙を出して、眼を拭き、それから、なるべく簡単に、と云った。

「酒井侯の名がお気に障るとみえますな」と六郎兵衛が云った。「酒宴の席で侯から恥辱をうけられた、私はその仔細を知っていますよ」

甲斐は男の顔をみて、――そうか、と思った。――柿崎とは中黒達弥の手紙にあった名だ。