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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
02 第二部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 112,073 字 · 223 页
ささやき
宇乃は微笑した。
「私が祝言することを知っているか」と甲斐が云った。
宇乃は「はい」と頷いた。甲斐を見あげている眼にも、かげろうのゆれるようなその微笑にも、なんの変化もなく翳もなかった。
「花がよくうつる」と甲斐は云った、「きれいだ」
宇乃はまた微笑した。
「まもなく江戸へのぼる」と甲斐が云った、「なにか云いたいことがあったら、遠慮なく云ってごらん」
「いいえ、なにもございません」と宇乃はかぶりを振った、「ただ、御番があきましたら、早く帰って来ていただきとうございます」
「私はいつも宇乃のそばにいるよ」
「はい」
「此処にいても、江戸へいってもだ、わかるか」
「はい」と宇乃は頷いた。
甲斐もそっと頷き、もう少し登ろうと云って、手をさしだした。宇乃はすなおに、その手に縋った。
二人はゆっくりと坂道を登っていった。
ささやき
その朝、材木町河岸の家を、野中又五郎といっしょに出た新八は、隣りのお久米からむすび文を渡された。
お久米は格子口の壁際に隠れてい、又五郎がとおり過ぎるのを待って、あとから来る新八に、格子の桟のあいだから、すばやくそれを渡したのである。新八はそれを袂に入れ、いそいで又五郎のあとを追った。