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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

02 第二部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 112,073 字 · 223 页

青空文庫

それがおれの望みだ、四千余石の館も要らない。伊達藩宿老の家格も要らない、自分には弓と手斧と山刀と、寝袋があれば充分だ。

――それがいちばんおれに似あっている。

そのほかのものはすべておれに似あわしくない。甲斐は口の中の物を噛むのも忘れ、ややしばらく、どこを見るともなく、ぼんやりと前方を見まもっていた。

彼はやがて首を振り、「ああ」と意味のない声をあげ、そしてまた喰べつづけた。二枚目の薄焼を取りあげたとき、うしろのほうで、鹿のなき声が聞えた。

甲斐は屹と振返った。あたりはかなり明るくなっていたが、枯木林の奥は暗くて、なにも見えなかったし、けものの動くような物音は聞えなかった。

――だがたしかに鹿の声だ。

甲斐はまず弓を取って、弦を張り、壺胡※(「竹かんむり/祿」、第3水準1-89-76)を括り付けた。それから、音のしないように、手早く食糧を片づけて寝袋に入れ、それをかたく背負いながら、いまなき声のしたほうをうかがった。やはりなにも見えず、なにも聞えなかった。

「しかし紛れはない」

甲斐はそう呟いて、雪帽子をかぶり、藪の蔭から、そっと伸びあがって、「くびじろ」