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あさくさふどき
浅草風土記
久保田 万太郎
雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页
――疲れてもう腕がいうことをきかなくなってもなお、強情にわたしたちは止めなかった。――店のほうから、面白がって、料理場のものだの女中たちだのが代る代る見物に来るので、一層わたしたちは昂奮した。
そのうち日が暮れて来た。いくら口惜しがっても見当がつかなくなった。見物もいつとはなし退散した。――わたしは、今度をまた約束して残念ながら着物を着た。
外へ出て、吉野橋まではみんな一しょだったが、それをわたると一人わかれ二人わかれ、しまいにとうとうわたし一人になった。――わたしのうちの見当へ帰るものは誰もいなかったのである。――わたしは、猿若町を馬道の通りへ出て、そこの、まさるやという古い菓子屋で切山椒を買った。――その時分、わたしは、どんな菓子より切山椒が一番好きだった。
後生大事にその袋をふところに入れて、あかりのいろのすでに濃くなったみちを、ひたすらわたしはいそいであるいた。披官稲荷の露地を抜けて、三社さまのわきまで来たとき、ばらばらと暗い空から、急に冷めたいものがふって来た。――雨かと思ったらみぞれだった。
うちへつくと、すぐ、買って来たその切山椒をむさぼるようにわたしは食べた。