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きくやしき

菊屋敷

山本 周五郎

「菊屋敷」産報文庫、大日本雄辯會講談社、1945(昭和20)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,620 字 · 71 页

青空文庫

そこまで思い続けてきて、志保はふと眼を空へあげた。……去っていった二つの幸福はかえらない、けれどもその二つは、どちらもこの菊屋敷で育ったのである、この家で成長し、この家から出ていった、江戸へ送られたという門人たちの道も、小松の許へ去った晋太郎の道も、まっすぐにこの菊屋敷の門へ、志保の心へと続いているのだ、門人たちは罪死するかも知れないが、跡を継ぐ者によってその道の絶えることはあるまい、晋太郎は自分のさし示した道を逞ましく生きて呉れるだろう、両方ともそれぞれに生きてゆく、……自分は決して独りではないのだ。空をふり仰いだ志保の胸に、新らしい、力づよい感慨がこみあげてきた、そして鋏をとり直し、菊の花枝を剪ろうと身を跼めたとき、母屋のほうからお萱の呼ぶ明るいこえが聞えてきた。

「……お嬢さま、お髪をおあげ申しましょう、お支度ができましたから」