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ちのもじ

血の文字

黒岩 涙香

「綾にしき」1892(明治25)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,021 字 · 87 页

青空文庫

力も己に復りしかば余は唯だ四辺に在る総ての物に熱心に注意を配り熱心に考え初めぬ、身は戸の口に立し儘なるも眼は室中を馳廻れり、今まで絵入の雑誌などにて人殺の場所を写したる図などは見し事あり孰れにも其辺最と取散したる景色見えしに、実際なる此人殺しの寝室の内には取散したる跡を見ず老人の日頃不自由なく暮し而も質素を旨として万事に注意の普き事は是だけにて察せらる、寝床及び窓掛を初め在ゆる品物に手入能く行届き塵も無ければ汚れも見えず、此老人の殺されしは必ず警察官及び判事等の推量せし通り昨夜の事なりしならん、其証拠とも云う可きは寝床の用意既に整い、寝巻及び肌着ともに寝台の傍に出しあり猶お枕頭なる小卓の上には寝際に飲ん為なるべく、砂糖水を盛たる硝盃も其儘にして又其横手には昨日の毎夕新聞一枚と外に寸燐の箱一個あり、小棚の隅に置きたる燭台は其蝋燭既に燃尽せしかど定めし此犯罪を照したるものならん、曲者は蝋燭を吹消さずに逃去りしと見え燭台の頂辺に氷柱の如く垂れたる燭涙は黒き汚れの色を帯ぶ、個は蝋燭の自から燃尽すまで燃居たるしるしなり。

総て是等の細き事柄は殆ど一目にて余の眼に映じ尽せり、今思うに此時の余の眼は宛も写真の目鏡の如くなりし歟、眼より直ちに種板とも云う