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ちのもじ

血の文字

黒岩 涙香

「綾にしき」1892(明治25)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,021 字 · 87 页

青空文庫

ビビエン街に到着せり、此町の多く紳士貴婦人の粧飾品を鬻げる事は兼てより知る所なれど、心に思いを包みて見渡すときは又一入立派にして孰れの窓に飾れる品も、実に善尽し美尽し、買度き心の起らぬものとては一個も無し、藻西太郎の妻倉子は此上も無き衣服蕩楽とか聞きたり斯る町に貧く暮しては嘸かし欲き者のみ多かる可く爾すれば夫等の慾に誘われ、終に貧苦に堪え得ずして所天に悪事を勧むるにも至りし歟あゝ目科の細君が言し所は余の思いしより能く当り藻西の無罪を証拠立んとする余の目的は全く外れんとするなる歟、余は此町の麗わしさに殆ど不平の念を起し藻西が何故身の程をも顧みず此町を撰びたるやとまで恨み初めぬ、目科も立留りて暫し彼方此方を眺め居たるが頓て目指せる家を見出せし如く突々と歩去るにぞ藻西の家に入る事かと思いの外、彼は縁も由縁も無き蝙蝠傘屋に入らんとす「君夫は門違いで無いか」と殆ど余の唇頭まで出たれど茲が目科の誡めたる主意ならんと思い返して無言の儘に従い入るに、目科は此店の女主人に向い有らゆる形の傘を出させ夫も了ぬ是も気に叶わずとて半時間ほども素見したる