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ちのもじ
血の文字
黒岩 涙香
「綾にしき」1892(明治25)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,021 字 · 87 页
末、終に明朝見本を届くる故其見本通り新に作り貰う事にせんと云いて、此店を起出たり、余は茲に至り初て目科が毎もより着飾たる訳を知れり、彼は斯く藻西が家の近辺にて買物を素見しながら店の者に藻西の平生の行いを聞集めんと思えるなり、身姿の立派だけ厚く遇なさるゝ訳なれば扨も賢き男なるかな、既に蝙蝠傘屋の女主人なども目科が姿立派なると注文の最六かしきを見て是こそは大事の客と思い益々世辞沢山に持掛けながら知ず識ず目科の巧みなる言葉に載せられ藻西夫婦の平生の行いに付き己れの知れる事柄だけは惜気も無く話したり、斯て目科は幾軒と無く又別の店に入り同じ手段にて問掛るに、藻西太郎の捕縛一条は昨夜より此近辺の大問題と為れる事なれば問ざるも先より語り出る程にして中に口重き者あらば実際に少しばかりの買物を為しを餌に話の端緒を釣出すなど掛引万々抜目なし、六七軒八九軒凡そ十軒ほど素見し廻りたる末、藻西夫婦が事に付き此辺の人が知れるだけの事は残り無く聞集めたるが其大要を摘めば藻西太郎は此上も無き正直人なり何事ありとも人を殺す如きことは決して無く必ず警察の見込違いにて捕縛せられし者ならん遠からず放免せらるゝは請合なり、彼れ其妻に向いては殆ど柔か過るほど柔かにして全く鼻の先にて使われ居し者なり、斯も妻孝行の男は此近辺に二人と見出し