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ちのもじ
血の文字
黒岩 涙香
「綾にしき」1892(明治25)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,021 字 · 87 页
可し、目科は無遠慮に話の先を折り「何所だ、何所です」と急ぎ問う「三階ですよ、三階の取附です、本統に先ア此様な正直な家の中で、夫に日頃あの正直な老人を」と老女が答え来るを半分聞き直様段梯子を四段ずつ一足に飛上る、余は肺の臓の破るゝと思うほど呼吸の世話しきにも構わず其学をして続いて上れば三階なる取附の右の室は入口の戸も開放せし儘なるゆえ、之を潜りて客室、食堂、居室等を過ぎ小広き寝室へと入込みぬ、見れば茲には早や両人の紳士ありて共に小棚の横手に立てり、其一人の外被に青白赤三色の線ある徽章を佩たるは問でも著き警察官にして今一人は予審判事ならん、判事より少し離れたる所に、卓子に向い何事をか書認めつゝ有るは確に判事の書記生なり、是等の人々何が為に此室にきたりたるぞ、余は怪むひまも無く床の真中に血に塗れたる死骸あるに気附たり、小柄なる白髪の老人にして仰向に打倒れ、傷所よりいでたる血潮は既に凝りて黒くなれり。
余は驚きの余り蹌踉きて倒れんとし纔に傍らなる柱につかまり我が身体を支え得たり、支え得しまゝ暫しが程は殆ど身動きさえも得せず、読者よ余は当時医学生たりしだけに死骸を見たるは幾度なるを知らず病院にも之を見学校にも之を見たり、然れども面たり犯罪の跡を見たるは実に此時が初てなり。