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くろとかげ
黒蜥蜴
江戸川 乱歩
「日の出 第三巻第一号―第十二号」1934(昭和9)年1月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,633 字 · 215 页
こんどの旅行は、商用のほかに、この都の或る名家と縁談がまとまりかけているので、引き合わせのために早苗さんを同伴したのだが、折も折、ちょうど出発の半月ほど前から、岩瀬氏は、ほとんど毎日のように配達される、執念ぶかい犯罪予告の手紙になやまされていたのだ。
「お嬢さんの身辺を警戒なさい。お嬢さんを誘拐しようとたくらんでいる、恐ろしい悪魔がいます」
そういう意味が、一度一度ちがった文句、ちがった筆蹟で、さも恐ろしく書きしるしてあった。手紙の数が増すにしたがって、誘拐の日が一日一日とせまってくるように感じられた。
はじめのうちは、だれかのいたずらだろうと、気にもかけないでいたが、たびかさなるにつれて、だんだん気味がわるくなって、ついには警察にもとどけた。だが、いかな警察力も、このえたいの知れぬ通信文の発信者をつきとめることはできなかった。手紙にはむろん、差出人の名はしるされていなかったし、消印も或いは大阪市内、或いは京都、或いは東京と、その都度ちがっていた。
そういう際ではあったけれど、婚家との約束を破るのもはばかられたし、いやな手紙の舞いこむ自宅を、しばらく離れてみるのも好ましく思われたので、岩瀬氏は意を決して旅に出ることにした。