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しほんたいへいき
私本太平記(三)
吉川 英治
Read 私本太平記(三) (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 222,108 characters · 446 screens
そして、
――これは怪しからん。
とも言いたげな顔をした。
「命松」
「はい」
「たれだ、あそこで縫い物している若い婦人は」
「お藤さんです」
「お藤さん?」
「こないだ、相国寺裏の町の衆が、どうせここは空家みたいなもンだから、庵主さんが帰るまで、ここに寝かしておくのがいいって、連れて来てしまったんです」
「じゃあ、ご病人か」
「病人でもありません。高野川の川合へ身を投げて、あぶなく死に損なッたのを、みんなして助けたんで……。やっとこのごろ快くなって来たんですよ」
「ほう。それはまた」
ただ、呆れながら書斎に坐る。しかしそのお蔭に、留守でも女手がとどいていたせいだろう、彼の机のまわりなども、小ぎれいだった。
命松丸は、その間に、
「お藤さん。お師匠さんが帰って来たのに、なぜ、もじもじしてんのさ。ごあいさつしておくれよ」
と、奥の人へ催促していた。
「……ええ、いま」
彼女は、針を針刺しに。そして、膝の糸くずなどを払いかけた。
ここでは、藤夜叉という名はもとより身の上も隠して、ただ近江の女とだけ、人には言っていた。兼好の前へ出ても、おなじであった。ひたすら、留守中の世話になった礼やら詫びを、くり返すのみで、すぐ羞らいにさしうつ向いた。