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ごべんのつばき
五瓣の椿
山本 周五郎
「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页
得石はどきっとしたように立停った、「そうだ、もう平松町へまわっている暇はない、平松町の帳合は手間がかかる、ちょっと早いがこのままいってしまおう」
おみのが来るまえに一杯やって、このいやな気分を直しておこう、そう思って彼は駕籠をひろった。――日本橋の浮世小路と呼ばれるその町内でも、吉田屋は一風変った料理茶屋であった。表は格子戸、規則だから水手桶は積んであるが、掛け行燈も暖簾もなく、知らない者には茶屋などとは思えない。まったくのしもたや造りであるが、中は広く、総二階の下に五つ、上に六つ座敷があった。
吉田屋へ着いたのが四時ちょっと前、もちろんおみのは来ていず、得石は階下の四帖半で酒を飲み始めた。その日は客が多く、二階にも下にも、幾組か賑やかに談笑する声や、三味線の音なども聞えていた。
「おみのという人から約束がしてある筈だが、座敷は大丈夫だろうな」
「ええわかってます」給仕に坐った中年の女中が云った、「お座敷はちゃんと支度してありますし、いまいるお客さまも、昏れるまえにはたいていお帰りになる筈ですから」
「一つ合をしてくれ」彼は女中に盃を差した、「名前はなんというんだ」