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ごべんのつばき

五瓣の椿

山本 周五郎

「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页

青空文庫

伴れて来ないまでも、帰ったという知らせはある筈だった。

――おっ母さん帰って。

お願いだから早く帰って下さい、おしのは心の中で叫び続けた。喜兵衛は暗闇と白明のあいだをさ迷っているようにみえた。呼吸は浅く、短く、それもふとすると跡切れるようであった。眠っているのに瞼が合わさらず、きみの悪い半眼のままで、ときどき吃驚したように、おしののほうを見、おしのがそこにいるのを慥かめると、すぐにまたうとうと眠るのであった。六日の朝早く、参得が診察に来て、喜兵衛がまだ生きていることに驚嘆した。躯はもう半分死んでいる、だが心臓だけはまだ強い。かなりしっかりと強く搏っている、こんな病人をみるのは初めてだ、と参得は云った。

喉の力がなくなっているので、渇きを訴えるときは、綿にぬるま湯を含ませて、そっと吸わせるほかはなかった。意識もしだいに昏みだすようで、わけのわからないうわごとを云ったりしたが、午前十時ごろになると、突然はっきりと眼をあき、「寮へゆこう」と云いだした。うわごとだろうと思ったが、そうではなく、ぎらぎらするような眼でおしのを見あげ、しゃがれてはいるがはっきりした声であった。