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ごべんのつばき
五瓣の椿
山本 周五郎
「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页
喜兵衛は「いや」と首を振りながら、じっとおしのの顔を凝視した。なにかを問いかけるか、訴えるような、おもいのこもった、ひたむきの凝視であった。
「なに」とおしのは油単の中へ頭を入れ、耳を近よせて訊いた、「なにか云いたいの、云っておきたいことでもあるの」
「ひと言――」と喜兵衛は喉で云った、「おそのに、ひと言、――生きているうちに」
「あたしが云うわ」とおしのはもっと耳を近づけた、「あたしが云うから聞かせて、お父つぁん、なんて云えばいいの」
喜兵衛は口をあいたが、なにも云わなかった。おしのが同じことを繰返して云うと、喜兵衛の眸子がつりあがって白眼になった。
「お父つぁん」とおしのが呼んだ。
喜兵衛の口から太息がもれ、そして、そのまま呼吸が絶えた。隙間からかすかに吹き入っていた微風が跡絶えるように、すうっと呼吸が止まり、そのまま吸う息も吐く息も聞えなくなった。
――こんな町中の、道の上で。
おしのは叫びだしそうになり、両手で口を押えて、危うく声の出るのを抑えた。
――気づかれてはならない。
こんなところで死んだことを、他人に知られたくない。決して勘づかれてはならない、おしのはそう思って油単をおろし、「やってちょうだい」