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ようちゅう

妖虫

江戸川 乱歩

「キング」大日本雄弁会講談社、1933(昭和8)年12月~1934(昭和9)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 120,290 字 · 239 页

青空文庫

守青年は冷水をあびせられた様な感じがした。

そいつは鳥打帽を冠っていたのだ。見覚えのある青眼鏡をかけていたのだ。鼻の下には一文字に濃い髭があったのだ。

あとになって分ったのだが、そこは金杉の大通りであった。守はいつの間にか省線の陸橋を渡って、自宅とは反対の方角へ歩いていたのだ。

金杉と云えば省線を隔てて、谷中とは目と鼻の間だ。犯人は兇行現場を逃げ出して、今までこの見世物小屋に身を潜めていたのに違いない。

昼間は往来の烈しい大通りだけれど、今は人の影さえなく、流しタクシーもほんの時たま、通り魔の様に行き過ぎるばかりだ。それに、丁度その辺は何かの会社の長いコンクリート塀になっていて、助けを求める術もない。

守青年は少なからず躊躇を感じたけれど、この大罪人を見逃してしまうのは、余り残念だったので、勇気をふるい起して、青眼鏡の跡をつけて見ることにした。

犯罪者の急ぎ足の靴音ばかりが天地に響き渡っていた。その三四間あとから、跫音を盗んでコソコソと歩いて行く、みじめな青年が彼であった。広い世界に、彼と犯人とたった二人限りという様な、ひどく心細い感じがした。