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きくやしき
菊屋敷
山本 周五郎
「菊屋敷」産報文庫、大日本雄辯會講談社、1945(昭和20)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,620 字 · 71 页
「どうあそばしました」お萱が気遣わしげにはいって来た、「……なにか悪いお便りでもございましたか」
「健二郎どのが亡くなったのです」
「まああの、ご二男さまが……」
お萱のおどろきの声もひどくよろめいたものだった、志保はしずかに眼をあけて、手紙の文字を読み継いだ。――今年の夏は江戸に悪い時疫がはやり、できるだけ注意したがついに健二郎も冒され、僅か七日ほど患らっただけではかなくなってしまった。そういう意味が、妹には珍らしくすなおな筆つきで書き記してある、――できるだけ注意したとは書いたが、正直に云うと自分が悪かったのである、良人に禁じられていた巴旦杏を、せがまれるままに喰べ過ごさせた、それが原因だということは医師も認めているくらいで、それを思うと夜なかなどに、つい叫びだしてしまうほど、恐ろしい後悔に責められる、自分は良き母ではなかった、けれど健二郎の命に代えてそれを思い知らされたと考えると神をも怨みたくなる、……自分はいま子が抱きたい、この石のように空虚で冷たくなった胸へ、ちからいっぱいわが子を抱き緊めたい、どうか晋太郎を返して呉れるよう。
志保はからだじゅうの血が凍るような悪寒に襲われた、怖れに怖れていた文字がとうとうそこへ出てきたのだ、しかし志保はけんめいに自分を抑えつけた、――こんなことを云っては申訳がない