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ごべんのつばき

五瓣の椿

山本 周五郎

「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页

青空文庫

人がいるというような、物音やけはいは少しもないし、おまさや母のそぶりにも変ったところはなかった。ことによると、初めにはいって来たときの、おまさの狼狽したようすや、爪弾きの三味線と低い唄の声を聞いたのが耳に残っているためであろうか。しんとした奥の部屋に、誰かが息をひそめて、こちらのようすをうかがっている、というふうな感じがどうしても頭から去らなかった。

「じゃあきっとね」おしのは帰るときにもういちど念を押した、「あさっての夕方、待ってるわよ」

「あんたもいま云ったこと忘れないで」とおそのは云った、「肌の手入れとお化粧、もう少し髪の流行に気をつけること、よくって」

呼びにやった駕籠が来、おまさのさしかける傘で雪をよけながら、おしのは拾い足で門の外へ出た。

「肌の手入れ」駕籠が動きだしてから、おしのは訝しそうに呟き、「そうか」と自分に頷いた、「ごはんをたべながら、ずっとその話をしていたのね」

髪化粧、帯、着物、母にはそういうことしか興味はない。昔からそうだった、とおしのは思った。眼をつむって母のことを回想すると、化粧をするところや、反物を選んでいるところや、着飾ってでかける姿しかうかんでこない。