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ごべんのつばき
五瓣の椿
山本 周五郎
「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页
することもできるんだ、ほんとだぜ」
終りの言葉がどなるような声だったので、向うから来た男がひょいと脇へよけたが、彼は気もつかずに、柳橋を渡っていった。
「ふん、仲次郎のほうが三味線は上だって云やあがったが、なにょう云やがる」彼は持っている折詰を振った、「世間にゃあ耳のねえ野郎がそろってるから、音締めひとつ聞き分けることもできやしねえ、みやあがれ、仲次郎はたちまちあのざまだ。なんだ、……なんのためにあの野郎のことなんぞ云いだすんだ、ちぇっ、よしゃあがれ縁起でもねえ」
「おれの云いてえのはそんなことじゃあねえ」彼はそれまで饒舌ったことを打ち消すように、ゆらゆらと首を振り、するとよろめいて、よろめいたまま道を斜めに歩きながら呟いた、「――おれは天下の岸沢蝶太夫だ、女にかけたって人にひけはとりゃあしねえ、おぼこから年増まで、娘、かみさん、後家、くろうとの差別なく、これと眼をつけておれのものにならなかった女は、一人もいなかった、こっちからもちかけるまでもねえ、捌ききれなくてげっぷの出るほど向うからもちかけて来た、それが、……あの娘、おりうに限ってこんなことになるなんて、へっ、初めて逢ってからもうすぐ一年にもなろうってのに、手を握ったのが今日が初めて、おまけにいまいましいのはこっちがのぼせてることだ」