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にほんばし

日本橋

泉 鏡花

「日本橋」千章館、1914(大正3)年9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 88,697 字 · 177 页

青空文庫

清葉とお孝の名を記にした納手拭の、一つは白く、一つは青く、春風ながら秋の野に葛の裏葉の飜る、寂しき色に出でて戦ぐを見つつ、去るに忍びぬ風情であった。

茶を振舞った世話人の問に答えて、法体は去年の大晦日からだ、と洒落でなく真顔で云うよう、

「いや、夜遁げ同然な俄発心。心よりか形だけを代えました青道心でございます。面目の無い男ですから笠は御免を蒙ります。……どこと申して行く処に当は無いので、法衣を着て草鞋を穿くと、直ぐに両国から江戸を離れて、安房上総を諸所経歴りました。……今日は、薬研堀を通ってこっちへ。――今度は日本橋を振出しに、徒歩で東海道に向いますつもり。――以来は知らず、どこへ参っても、このあたりぐらい、名所古蹟はございませんな。」

と云って、ほろりとして、手を挙げて茶盆を頂いて出て行く。

人足繁き夕暮の河岸を、影のように、すたすたと抜けて、それからなぞえに橋になる、向って取附の袂の、一石餅とある浅黄染の暖簾を潜って、土間の縁台の薄暗い処で、折敷装の赤飯を一盆だけ。

その癖、新しい銀貨で釣銭を取って一石橋へ出た。もう日が暮れたのである。

半ば渡った処、御城に向いた、欄干に、松を遠く、船を近く彳んで、凭掛ったが、熟として頬杖を支いて、人の往来も世を隔てたごとく、我を忘れた体であった。