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きくやしき
菊屋敷
山本 周五郎
「菊屋敷」産報文庫、大日本雄辯會講談社、1945(昭和20)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,620 字 · 71 页
「これにおられるのは江戸公儀の大目附から差遣わされた方がたです、あなたはご存じのないことでしょうが、塾へ集っている者たちに御不審があって、これから拘引しなければならぬのです、場合に依っては争闘が起るかも知れませんから、あらかじめお断わり申して置きます」
「それは、それはあの」志保は自分が蒼白になるのを感じた、「……この家でなく、この家でなく外でお願いできませんでしょうか」
「いや外ではとり迯がす惧れがあります、もはやお屋敷まわりに手配りもできていますから、ではごめんを蒙ります」
「お待ち下さい」志保は反射的に立った、「……それではわたくし、ご案内を致しましょう、そのほうがご穏便にまいると存じます」
「たしかですか」公儀大目附の者だという中年の小柄な武士が、するどい眼でこちらを睨んだ、「……まさか迯がす手引きをするようなことはないでしょうな」
「わたくし黒川一民のむすめでございます」
殆んど夢中でそう云った、そしてそのひと言が自分で自分の支えになった。がらがらと何かのむざんに崩壊する音が聞えるようだ、すべてを押し倒し揉み潰す雪崩のように、なにもかもを志保の手からぎ去ってゆく、――だが狼狽してはならない、こうなることはわかっていた、真実をたしかめるためにはいつでも多少の犠牲は必要なのだ、みぐるしいふるまいをしてはなら