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まじゅつし

魔術師

江戸川 乱歩

「講談倶楽部」大日本雄弁会講談社、1930(昭和5)年7月~1931(昭和6)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 139,264 字 · 280 页

青空文庫

幸い今夜は風がないので、散りもしないで残っていたのでしょう」

「併し変ですね。あの賊がそんな目印を態々拵えて置くなんて。考え得ないことじゃありませんか」

「賊ではありません。あいつの娘の文代という女です」

「賊だって、賊の娘だって、同じ訳です。そんな馬鹿なことが」

二郎は今度こそ、明智が発狂したのではないかと、本当に心配になり出した。

「イヤ、君が変に思うのは尤もです。併しあの娘は親子のきずなで悪魔に従ってはいるものの、父親とは正反対の心の優しい女です。以前から父親の悪行を悪んでいたのですが、今夜こそ、もう耐らなくなって、いっそ父親を警察へ引渡そうと決心したのでしょう。それには又、僕の苦しい立場を救ってやろうという、優しい思遣りもあるのです」

明智は歩きながら、嘗つての怪汽船内での不思議な出来事を手短かに話して聞かせた。

今度の事件では、名探偵を絶体絶命の窮地から救うものは、いつも目ざす怪賊の実の娘なのだ。何という不思議な因縁であろう。成程、成程、さっき明智が恋人が出来たと云ったのは、この文代のことだったかと、二郎もつい引入れられて涙っぽい気持ちになった。