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くろとかげ

黒蜥蜴

江戸川 乱歩

「日の出 第三巻第一号―第十二号」1934(昭和9)年1月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,633 字 · 215 页

青空文庫

もうそのほかに考えようがないではないか。あらゆる隅々を探しつくしたのだ。たった一つ残っているのは、人々の盲点にかかったように、捜索を忘れられている、この長椅子のなかであった。

心をすますと、機関の震動とは別の、かすかな、かすかな鼓動が、クッションの下から、彼女の皮膚に伝わってくるように感じられた。

人間の心臓が脈打っているのだ。椅子の中にひそんでいるだれかの鼓動が聞こえてくるのだ。

彼女はまっ青になって、歯を喰いしばって、今にも逃げ出したい衝動をじっとおさえていた。

だが、そうしてじっとしているうちに、椅子の中から伝わってくる鼓動は、刻一刻その振幅を増して行くように思われた。彼女にはもう、波の音も機関の響きも聞こえなかった。ただ、お尻の下の、えたいの知れぬ鼓動だけが、まるで太鼓の音のように、異様に拡大されて鳴り響いた。

もう我慢ができなかった。逃げるもんか、だれが逃げるもんか。たとえあいつがこの中にひそんでいたとしても、袋の中の鼠じゃないか。恐れることはない、ちっとも恐れることなんかありやしない。

「明智さん、明智さん」

彼女は思い切って、大声に呼びながら、長椅子のクッションをコツコツと叩いた。