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ごべんのつばき

五瓣の椿

山本 周五郎

「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页

青空文庫

こういう理由から、おしのは初めて、相手のきめたこの家へ来たのだ。

「よく燃えるわね」と階下で女たちが云いあっているのが聞えた、「小笠原さまの屋敷でしょ、あれ」

「太田摂津さまよ」と他の女が云った、「火の見が右にあるじゃないの、小笠原さまはあの右よ」

「向う河岸の火事っていうけれど、燃えてるのが人の家だから、花火よりきれいだし面白いわね」

「誰だいそんなことを云うのは」と女主人らしい声が云った、「人さまの不幸を面白がる者があるかね、ばかなことを云うと承知しないよ」

おしのも火事を見まもっていた。

両国広小路から川下のほうへ、七、八町も寄っているだろうか、階下の人たちの云うとおり、町家ではなく武家屋敷とみえ、棟が高いので火も高く大きくみえる。川波の上を伝って、すりばんといわれる半鐘の音や、火消しの者や逃げだす人、また火事を見物に駆けつける人たちの声までが、かなりはっきりと聞えて来た。

「正月六日の夜なかだったわね」とおしのは呟いた、「亀戸の寮の裏、――生垣のところから、燃えあがる火を見ていたわ」

あれから約一年、ずいぶんいろいろなことがあった、とおしのは思った。