轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
ふくいんさつじんじけん
復員殺人事件
「座談 第三巻第六号~第七号、第四巻第一号~第三号」1949(昭和24)年8月1日~9月1日、1950(昭和25)年1月1日~3月1日(未完)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 96,621 字 · 195 页
轢死に際して顔面が何かに強打されたという判断も成り立つけれども、ほかにさしたる外傷がなく、二人揃って顔面にだけ一撃をうけた跡があるのがおかしかった。
警察の判断は謀殺であった。暮方五時、あたりはもう暗い。早川口の海釣りからの帰り路はきまっているから、何者かゞ待ち伏せていて、公一父子をノックアウトし、昏倒した両人を線路にねかせて轢死の風を装わしめたという解釈であった。この山径は、昼間でも、殆ど通行人のないところであった。
当時、倉田家の家族は、当主由之のほかに、死んだ長男公一父子、公一の妻由子、次男安彦(当時二十五)三男定夫(当時二十)安彦と定夫の間に長女起久子(当時二十二)が滝沢三次郎と結婚し、滝沢は倉田由之の秘書であり、倉田家に同居していた。末の娘が美津子で、そのとき十七、まだ女学生であった。
このほかに、一風変った雇人の一家族が住んでいた。杉本重吉(当時四十五)その妻モト子(当時四十三)長男久七(当時二十一)長女スミ子(当時十八)の四人家族であるが、下男重吉、又の名は蛸の重吉とか蛸重といって、この町の奇人の一人であった。
重吉は、由之が武道教師をしていた中学での教え子であり、柔道の主将であったが、五年の中学生活を九年かかって卒業したという名題の石頭であった。