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こいのでんしちろう
恋の伝七郎
山本 周五郎
「講談雑誌」博文館、1946(昭和21)年10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 29,650 字 · 60 页
ような気持だった。会うといきなり一杯つきあえと誘われ、そのまま新北の花街へ来てこの「小花」という茶屋へあがった。茶屋の女たちは下へも置かぬもてなしで、酒肴が並ぶとすぐ歌妓が来る、美しい手で左右から酌をされ、嬌艶と凭れかかったり肩なんぞ叩かれるという、夢のような世界と相成ったのだ。こんなことは生れて初めての伝七郎、大袈裟に云えば魂も宙に飛んでしまい、骨抜き泥鰌のように酔って、よし狐狸の類の化かすにもせよ、ただこの仙境の消えであれかしと願うだけだった。「こちら様はどこかでお眼にかかっているわ、たしかに覚えがあるんですもの」さっきから頻りにそう云う妓がいた、銀之丞はひどくきまじめな調子で、「冗談を云ってはいけない、そちら様は謹厳一方で、なかなかおまえ達のような者にお近づきあそばす御身分ではない、しかもいまさるりっぱな家の御息女に想いつかれていらっしゃるんだ、おまえはそちら様の御兄弟と思い違えているのだろう」「こちらの御兄弟って……」「榎屋敷のなあ様さ」「あら、こちら永井様の」妓はおおぎょうに眼を瞠った、「ほんとうに、そう伺えば横顔が似ていらっしゃるわ、そしてどこかのお嬢さまに想いつかれていらっしゃるというのはほんとうなんですか」