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こいのでんしちろう

恋の伝七郎

山本 周五郎

「講談雑誌」博文館、1946(昭和21)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 29,650 字 · 60 页

青空文庫

裏長屋も寝しずまってしまう、まっ暗がりの危い足許を拾い拾い、忠太の家の表へ来た伝七郎、閉まっている戸を叩くとすぐに中から返辞があった。

「誰だ」「おれだ、伝七郎だよ」「伝さんだって、構わず開けて入ってくんな」と云う、なるほど鍵なんぞ掛っているわけはない、がたびしする戸を開けて入る、すぐに後を閉めて上ると、忠太郎が行灯に火を入れ、夜具を隅の方へ押付けた。「こんなに更けてからどうしたんだ、なにかあったのかい」「あったんだ、済まないが水を一杯飲ませてくれ」「水はねえや、湯冷しでもいいか」「なんでもいい、喉がひりつきそうだ」「口からやってくんな」かかる世界では不作法が作法である、湯沸しをそのまま取って差出すのを、伝七郎は口から吸いつくように喉を鳴らして飲んだ。「さあ、おちついたら一つ話してくんな、いったいどんな事が起ったんだ伝さん」「なにもかも目茶苦茶だ、なにもかもだ、おれは腹を切らなきゃならなくなった」「なあんだって」「腹だ、切腹だよ」「いったいそれはどういうわけなんだ」「他に相談する者はなし、やっぱりおまえに聞いて貰いたくって来た