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しんしょたいこうき
新書太閤記
吉川 英治
05 第五分冊
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 197,228 字 · 394 页
空には、昼間の月が、うッすらと浮いていたし、地には昼顔の花が、這っていた。
「新左。彦右衛門。……よい機だぞ。今だぞ」
紀伊守の嫡子、天野元明は、十頭ばかりの馬が繋いである木立の蔭から、小声で――しかし急な烈しい声で――誰かを急きたてていた。
鹿之介は何も気づかなかった。
妻子一族をのせた渡舟はいま、川の中ほどまですすんでいる――
胸に、川風を入れながら、眼はそれに、見惚れていた。
涙があった。彼のひとみに。
「……不愍な」
と、ふと漂泊の家族に、あす知れぬそれらの者の運命に、親として、良人として、主人として、断腸の感を抱いていたのであるまいか。
虫が啼きぬいている。
淡い昼間の月も、昼顔の花も、炎天の下ながら、なんとなく、もののあわれを人に誘う。
剛者は情に脆いという。
多感多血、人いちばい、鹿之介には、濃いものがある。持って生れた義胆と侠骨は、いまもなお、ひとみの底に、大夏の太陽よりも強烈なものをもって、燃えている。
信長には捨てられた。
秀吉とは手を別った。
そして上月城は敵手に委ね、残る唯一なるもの――すなわち主君尼子勝久の首級まで、敵に捧げてしまった。