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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

02 第二部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 112,073 字 · 223 页

青空文庫

頭を垂れた丹三郎の眼から、涙のこぼれ落ちるのが見えた。甲斐はややしばらくして、静かな、力のぬけたような声で、云った。

「おまえは、その者を、憎むか」

丹三郎は「いいえ」と答えた、「憎むことができたら、と思いますが、私にはできません」

「鬼役にあがれば、おれとは主従の縁が切れる、おまえの願いはかなえられるようだし、それもごく近いうちと思われる、そうなっても憎むことはできないか」

丹三郎は「はい」と云った。

「鬼役は死ぬぞ」と甲斐は声をころして云った、「仔細は云えないが、毒薬がもちいられることはたしかなようだ、目的は若君の毒害ではない、若君の毒害だけが目的でなく、ただ事を起こすためにもだ、丹三郎」

甲斐はさらに声をひそめた。

「鬼役はこれまでとは違う、これからは死ぬことを必至と覚悟しなければならない、思いとまれ、丹三郎、おまえはまだ原田の家従だ、願いをとりさげれば」

「いいえ」と丹三郎は首を振り、両手で眼を押えながら、低いけれども力のある声で云った、「私は鬼役になります、死ぬことも怖れません、初めからその覚悟はできています」

「宇乃のためにか」

「私は親の代から原田家の家従でした」