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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
02 第二部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 112,073 字 · 223 页
甲斐は充分にひきよせた。弓を握った手指と、矢をつがえている指を、静かに握りこころみ、呼吸をととのえ、それから立ちあがった。
距離は約三十尺。甲斐が立ちあがったとき、くびじろもぴたりと足を止めた。甲斐は弦をひきしぼった。ほこ(弓の幹)がききと爽やかにきしみ、弦はいっぱいにしぼられた。その瞬間に、甲斐はまた火繩の焦げる匂いを感じ、くびじろが頭を右に振り、甲斐は矢を射放した。
矢はくひじろの肩に当った。たしかではない。くひじろはするどく叫び、頭を振り、躍りあがった。そして、ぱっと雪けむりが立ったと見ると、枯木林の中へ疾走していった。走り去るときに、くひじろの右の肩で、矢が垂れさがったまま、ゆらゆらと揺れているのを、甲斐は認めた。この矢ごろで、と甲斐は舌打ちをし、二の矢をつがえながら、すばやく身を跼めて向うをうかがった。
――どこにいる。
いまたしかに火繩の焦げる匂いがした。それが手元を狂わせたのだ。どこに隠れているのか。甲斐は弓のとりうちで、笹藪の雪を払いながら、向うの林と斜面を注視し、もの音に耳を澄ませた。だが、木の枝から雪の落ちる音がするだけで、視界のなかには動くものはなかった。