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しんやのしちょう
深夜の市長
海野 十三
「新青年」博文館、1936(昭和11)年2月~6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 109,982 字 · 220 页
「兄ですって?」女は涙に濡らした凄艶な顔を起して叫んだ。
「兄がどうしてあたくしを迎えてくれるものですか。それが出来るくらいなら、あたくしは……あたくしは……なにも淫売女になんか成り下ることはなかったのです」
女はもう前後を忘れて、激しい嗚咽と共に、ダブルベッドの上に獅噛みついた。僕はつい誘われて悲嘆する女を抱きしめたい衝動に駆られてくるのを、努めて払いながら、
「……じゃ僕にお委せなさい。僕が兄さんに会って、よく相談してみましょう。きっとうまくやりますよ。ね、ハナ子さん……でしたかネ」
僕が不用意に放った失言が、女にとって時の氏神のユーモアであったのだろうか、彼女は泣くのをピタリと停めた。
「あたくしの名はマスミでございます」
「ああ、マスミさん。たいへんいいお名前ですね。ところで、兄さんのお名前と住所とを教えて下さい」
マスミはやっと泣くのをやめて、こっちへ顔を向けた。
「貴方、ほんとうにそうして下さる。あたくし心からお願いするわ。兄の名は、四ツ木鶴吉というのです。住所はどこへ越していったのか、もう分らないのですけど、兄が勤めているところが分っていますから、そこへ行って尋ねて下さいな」